謎の蒸気機関車


 ある日、北海道は千歳市の市史編さん室にいらっしゃるMさんから、メールをいただきました。

 その内容は「過去、千歳鉱山から尾小屋鉄道へB形のタンク式蒸気機関車が譲渡されたようだが、詳しい事を知りませんか?」という質問でした。

 自分は早速、尾小屋鉄道のバイブル的存在である「尾鉄よ永遠なれ」や「ナローゲージモデリング」などの資料を調べてみましたが、過去、尾小屋鉄道に在籍した蒸気はすべてC形で、B形はいなかったようだとお答えしました。

 ただ、小松市の芦城公園に「尾小屋鉄道の蒸気機関車」だと言われていた、B形のタンク機関車が昭和30年頃にあった事は知識として知っていたので「もしかしてそれと関係あるのかもしれません」と付け加えました。

 その後、千歳市史編さん室の冊子には「今後の調査が待たれる」と書かれ、結局、詳しい事は分からずじまいでした。

 ところが、2008年の12月になって、自分が勤める会社の資料室で発見した歴史書に、芦城公園のB形タンク機関車は戦時中、現在の小松空港の建設のために使われた、作業用機関車であった事が書かれているのを見つけ、久し振りにMさんへメールを送りました。

 すると数日してMさんから返信があり、「B形機関車の詳細が分かった」とありました。さすがはMさん、その後も調査しておられたようです。

 Mさんが資料としてくださった添付ファイルには、何と、灯台下暗し!自分も持っている「鉄道ピクトリアル昭和43年7月号 私鉄車両めぐり第9分冊」の記事が参照されていました。

 そこには、しっかりと「昭和18年頃、日本鉱業千歳鉱山で不用になった機関車を、日鉱の子会社である尾小屋鉄道に持ち込んだもの。購入や認可の事実は無く、無籍のまま使用してはみたものの結果は悪く、戦後は新小松に放置したままだったが、昭和23〜24年頃に解体した(要約)」とありました。ちなみにこの機関車、乗務員の間では「5号」と呼ばれていたが、もちろん正式呼称では無かったとの事。その後、現在も残る正式な5号蒸気機関車が尾小屋鉄道に入線したのは昭和26年になってからの事でした。

 Mさん、興味深い話を教えていただき、ありがとうございました! 


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