廃線探訪2002 その1


 前回の廃線跡歩きから、早くも4年近くが経過した。その間、何度となく部分的に探訪はしたものの、国道416号や沿線を流れる郷谷川の改修工事など、廃線跡を取り囲む環境は大きく変化した。当然、この先も変化を続けて行くのが世の常。廃線後25年がたった節目のこの年に、是非とも全線を踏破したかった。

 2002年6月8日(晴れ) このホームページの掲示板を通じて知り合った、工学博士のIさんと二人で廃線跡を探訪する事になった。ほんの1カ月前までは全く面識の無かった二人が、こうして20キロ近くもの行程を共にするのだから、縁と言うのはわからない。「インターネットに感謝!」である。

 尾小屋駅までは友人に送ってもらった。足の無い方は、JR小松駅から尾小屋までのバスがあるので、それを利用すると良いと思う。前回の反省から、今回は午前8時ごろには尾小屋に着くようにした。前回は午後2時ごろに出発したため、後半が日没後になり、まともに写真が撮れなかったためだ。廃線歩きは、明るいにこした事は無いと思いますよ。

<尾小屋>

 さてさて、まずは尾小屋駅跡の探索。ここは赤門さんの運転会などで、何度となく訪問しているので見なれた光景なのだが、以前ここにあった小松市所有の3両(C155、キハ3、ハフ1)が、上手の鉱山資料館前に新設された「ポッポ汽車展示館」に移設されたため、ずいぶん閑散としてしまった。保存用に設置されていた上屋も撤去され、ホーム部分がきれいに見えるようになった。そかし、上屋の脇に置いてあった「とまれみよ」の踏切や標識類はどこに姿を消したのだろう。

(尾小屋駅ホーム跡。後部にあるのはDC122)

 赤門軽便鉄道保存会所有のキハ2、ホハフ7は車庫内に保管されているため、その姿は確認できない。だが、車庫の裏手には、おそらく軽便鉄道としては日本で唯一の物だと思われるターンテーブルが残っている。草に覆われ、その全容は見にくいが、とても貴重な産業遺産には違いない。ふと、高校時代にこの存在を発見し、とても嬉しかった事を思い出した。あとはレール類や転轍機などが、当時のまま姿を留めている。そして、赤門軽便鉄道保存会の個人会員2人が共同所有しているというDC122は、雨曝しで年々傷みがひどくなってきている。しかし、その恩恵(?)か、一部でグリーン塗装時代のペンキや、謎の黄色のペンキなどが浮かび上がってきている。さて、時間は8時15分。いよいよ廃線跡歩きのスタートだ。

<尾小屋〜長原>

 (廃線跡は歩道になった)

駅構内から軽い坂を登り、国道426号の左側、歩道部分が廃線跡だ。線路跡は整地され、すっかり道路に飲み込まれてしまった形だ。長原の集落に近づくと、左にゆるくカーブして道路を横断し、廃線跡は竹やぶに吸い込まれている。ここは歩けそうも無いので、神社の向いの路地を入って行く。当時もこの路地が駅につながっていたそうだ。しかしながら、早くも薮に阻まれ接近は難しい。線路は一段低い場所にあったことは間違い無いのだが、とても近付けない。しかたなく薮を避け畑を迂回すると、そこにはコンクリートのホーム跡があった(感動!)

(廃線跡は国道を横切り、竹やぶに吸い込まれて行った)

<長原>

(長原駅のホーム。線路跡は右側)


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